ある日、一匹のネコが我が家へ迷い込んできた。
ノラネコとシエスタ
どうやら、そのネコは誰かに追われていたらしく、たまたま我が家へ逃げ込んだようだった。
外から男達の騒がしい声が聞こえてくる。
ネコは軽い怪我を負っていた。
怪我をか、それとも別の何かをか、彼は誤魔化すようによく喋り、よく笑った。
彼の言葉には耳慣れない訛りがあって、それは大層、私の興味を惹いた。
「仲間はいるのかい?」
訊くと急に黙って、体を強張らせる。
言っている意味が解らないのかも知れない。
「……と、友達ならこじゃんとおるけんど……何で、ほがなこと訊きゆう?」
混乱しているのか、やはり返ってきたのは、どこか要領を得ない答だった。
しかし、どうやら仲間はいないらしい。
「君ひとりなら、それでいい。中へ入るといい。傷を看てあげるよ?」
特別、愛情をかけるつもりはない。
ただの興味と、それと、少し寂しそうに見えたから。
それだけのこと。
彼の怪我は大したものではなかった。
きれいに汚れを落としてやり、少し押さえていると、すぐに出血は止まった。
彼は落ち着いたのか、傷口に軟膏を塗る間、黙ってそれを見ていた。
「ここに一人で暮らしゆうがかよ?」
軟膏を塗り終わって、着物を着直しながら、遠慮がちにそう訊かれた。
私のことを不審に思っているようだった。
ふいと室内を見回して、それもそうかと思った。
ずいぶんと小さく簡素な家だ。
小さな箪笥と文机が一つずつ。
可愛らしい置物も、美しい花一輪すらない。
色褪せた藍の暖簾がひらりと揺れるだけ。
「おかしいかな?」
「ほがなことは、ないやけんど……」
居心地悪そうにする顔がなんとも可愛らしいと思った。
「この方が掃除が楽だよ。必要最低限のものだけあればいい」
笑って見せると、少し安心したのか、「ほがなもんかにゃー」と言って、室内を見回した。
その様子は猫そのものだった。
夕食をそろそろ作ろうと、調理場へ下りていった。
ネコはあぐらを掻いて、ずっとぼんやりしていた。
もう、外はずいぶんと暗い。
我が家にはろくな食材がない。
私はろくな料理を作らない。
四苦八苦しながら作った夕食は、相変わらずろくなものじゃなかった。
棚の奥から、二人分の膳を引っ張り出して居間へ向かった。
居間は静かなものだった。
ネコはいつ出て行ったのか、影も見えない。
色褪せた藍の暖簾がひらりと揺れる。
次の日、掃除をしていると、ふらりとネコがやって来た。
「昨日はすみやーせんやったね」と笑う様子は、昨日とはまるで違って、ずいぶんと人懐っこかった。
「お昼は済みましたか?」
「いんにゃ、まだやけんど?」
朝のうちに、買い物に行っておいて良かったと思った。
食材がましになったからと言って、料理がましになるかと言われれば、頷けはしないが、それでもないよりはましだろう。
「飯を作ってもろーたのは久しぶりぜよ」
「あまり、味は良くなかったでしょうけど」
「ほがなこと。…けんど、さいさい世話になっちゅうて、まっことすみやーせんにゃー。」
膳を下げて、広くなった居間に二人で転がる。
ちいさく笑うと、あんまりにも穏やかな昼の匂いがして、なんだか眠たくなった。
「のう。おまんの名前を教えてくれやーせんか?」
「 」
意識が飛んだ。
「さん…起きとおせ」
「ん……っ、何で名前」
「わしはもう、いなんといかんけんど……」
外は真っ暗だ。
猫の目が光るように、月が光る。
「また、来てくれるかい?」
「約束ちや」
小指が絡む。
ただのノラネコじゃない。
何を望んでいたんだろう。
眩しい朝も、穏やかな昼も、三日月で引き裂いた夜も。
待てども待てども、彼は来ない。
土佐脱藩の坂本竜馬が暗殺されたと聞いた。
色褪せた藍の暖簾がひらりと揺れる。
我が家にはもう、何も無い。
戸を閉めて、膳を仕舞う。
色褪せた藍の暖簾はもう揺れない。
<2005.02.07>
上手く書けません。
土佐弁を使うことに力を入れすぎた。
ていうか、これって悲恋になるのかなー?
才谷さん大好きです。
土佐弁わかんねぇ。
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