神さまどうか。
愚かな僕等を
許して下さい。
神に唄えば。
夕暮れの礼拝堂。
ステンドグラスと夕日がつくった、マリア様を踏みつけて板張りの床をゆっくりと進む。
信仰心などまるで無い。
昔の人はなんて純粋だったのだろう。
死ぬくらいだったら、聖母の顔なんて、いくらでも踏みつけてやればいいのに。
進む先にはひとりの少女がいた。
ステンドグラスの聖母に向かって跪き、手を握り締めて祈る少女。
彼女の周りの空気は、ピンと張り詰めて、神聖を通り越して、それは神秘的でさえある。
「さん」
名前を呼ぶと、彼女の頬に影を落としていたまつげが上に上がった。
僕が彼女と出会ったのは、この礼拝堂だった。
その日、僕は賛美歌の練習をしようと、礼拝の時間以外にはほとんど来ることのないこの場所へやって来た。
どうせ、誰もいないのだろうと思っていた所為か、彼女を見たとき、僕は見てはいけないものを見た気がした。
少し癖のある漆黒の髪に白い肌。
夕日に染まり、祈る姿はまるで聖母そのもので、彼女の顔は死んでも踏めやしないと思った。
「毎日毎日、何を祈っているのですか?」
目を開けはしたものの、そのままの体勢でなおも祈り続ける彼女に訊く。
人に祈りを尋ねるなんて、失礼だろうか。そう思ったが、質問を取り消す前に、彼女は答えた。
「木更津敦の恋が実りませんように」
呆気にとられることはなかった。
彼女が彼に恋をしていることは知っていたから。
「他人を不幸にしてまで、幸せになりたいのですか」
あんなにも真剣に神に祈ってまで。
「観月くんには言われたくないな。勝つためには、手段は選ばない。皆が君のことを冷血漢だと言っていたよ」
他人を傷付けることに、なんの躊躇いもないのだと言わんばかりに、彼女は冷たい言葉を放つ。
愛も慈悲も持たぬ聖母は、それに、と付け加える。
「木更津くんに好きな人がいると、教えてくれたのは観月くんだ」
それは事実で、嘘ではない。
ただ僕は、彼女に黙っていることがひとつある。
僕は跪く彼女の隣に歩いていって、同じように跪いた。
十字を切って、目を閉じ祈る。
「・・・何を祈っているの?」
彼女が少し笑いながら尋ねたので、僕は答えた。
できるだけ、心の通わない声で。
冷血な人間に見えるように。
「木更津敦の恋が実りませんように」
それを聞いた彼女は、半ば呆れたようだった。
「観月くんはおかしな人だね。そんなことになれば、自分が不利になるだけなのに」
「別に、この祈りが叶ったところで、僕は不利にはなりません」
彼女は訝しむように僕を見た。
「それに、僕は神が願いを叶えてくれるとは思いません」
「決意なんだ」
彼女が突然、そう言って、僕は耳を疑った。
「私だって、神さまが願いを叶えてくれるなんて思ってない。だから、あれは祈りではなくて決意なんだ」
今のは決意。そう、祈りではなく。
「でも、観月くんのそれが決意だとしても、観月くんの不利に変わりは無いんじゃないの?」
僕は彼女が、僕によく似ていると思ったんだ。
けれど彼女に、僕のシナリオも決意の意味も、解る筈もなかった。
「木更津くんが好きなのはさんですよ」
僕の決意は、君を諦めることだ。
そして、最後に少しの意地と賭けを。
君を好きだとは決して言わない。
意地でも負けは認めない。
そして、木更津くんの失恋を願うことで、彼女が僕の気持ちに気付くかどうか。
「観月くん」
そのときの彼女の顔は、僕のシナリオのどこを探してみても見当たらなかった。
「神さまが叶えてくれない願いを、もし、叶えられるとしたら、どうする?」
そう言って、彼女は立ち上がった。
ステンドグラスのマリアさまの前に立ちふさがって、僕の目には彼女しか入らなかった。
「叶えますよ。叶えられるものならば」
夕日が後光のように彼女を照らして、彼女は聖母のように、愛と慈悲に満ち溢れた笑顔を見せた。
「叶えてよ。私と観月くんの願い。観月くんの言葉ひとつで叶う」
僕らの願い。
「「木更津敦の恋が実りませんように」」
彼女は僕によく似ていた。
けれども、彼女のシナリオは、僕のそれより一枚上手だったようで。
僕は小さな意地をひとつ捨てた。
けれど、負けたつもりはない。
「僕はが好きです」
ああ、神さま。愚かな僕等を、どうか許してください。
神でもないのに、誰かを手のひらの上で踊らそうだなんて。
確かに、彼女は木更津敦が好きだなんて一度も言わなかったけれど。
「僕等は皆、神さまの手のひらの上で踊らされているのかも知れない」
僕がそう言うと、彼女は笑って言うんだ。
「神さまがびっくりするくらい、踊ってやればいいのよ。踊らされてると卑屈になって、踊るのを止めるよりずっとマシじゃない」
夢なのに、名前がほとんど出てこなくてすみません。
しかも解りにくい。
観月さんが計画を覆される話を書きたかったんです。
ていうか、木更津ごめん。
タイトルは昔読んだ「雨に唄えば」という本から拝借。
特に意味はありません。
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