満月の下、君と。
夜の見回り。
看護婦になって随分経つが、私はまだ、これが苦手だった。
毎日いる病院なのに、夜になるとそれでも恐い。
懐中電灯を片手に院内を廻る。
皆が寝静まった院内は静かで、余計に怖く感じる。
廊下を歩いていると、一瞬、静寂が壊された。
前方からペタペタと、階段を上る足音がした。
トイレに行くのに階段を使う必要はない。
私は恐る恐る階段へ向った。
階段を見て、私は息を飲んだ。
階段の踊り場に浮かぶ影。
月明かりが照らした顔は、ぬけるように白く、儚げだった。
(………幽霊?)
懐中電灯で照らすと、影はハッとして逃げるように階段を駆け上がった。
影は十代後半くらいの少年だった。
そして、ちゃんと足があった。
(幽霊じゃない…って、ことは)
この先の階に部屋は無かった。
屋上だ。
いやな展開が頭をよぎった。
頼むから!飛び降り自殺なんてしないでくれよ!!
少年は脚が速かった。
屋上に辿り着いたときには、私はもう息が切れていた。
それなのに少年は平気な顔で、金網を掴んで空を見ている。
「ちょっと、君!何やってんのよ!?」
からからに乾いた喉で叫んだ。痛い。
「自殺なんて馬鹿な真似してんじゃないわよ!
何があったか知らないけど、そっから先は行かせないわよ!
そりや、死んだ方がマシって思うことだってあるけど、意外と大丈夫だったりするから!
私なんて、今年、25なのに彼氏いない暦12年なんだから!
それでも、まだ、諦めてないんだからね!!」
一気に巻くし立てた。
少年はキョトンとしていたかと思ったら、「ブッ!」と吹き出した。
「あはっ…あはっはははははっ!」
次いで爆笑。
「…っ、何が可笑しいのよ!人が真剣に話してるっていうのに!」
思わず赤面してしまう。
「あっ…ふふっ、すいません」
少年はまだ少し笑いながら謝った。
「いいから、解ったなら早くこっちに来なさい。まだ若いんだから」
言ってて悲しくなるような科白。
でも、間違っちゃいない。
少年は私の言葉を聞いていたのかいなかったのか、また、金網を掴んで空を見ていた。
少しウエーブのかかった黒い髪が風に揺れる。
今にも逃げ出しそうに見えた。
「ちょっと……!」
いい加減にしろと、言おうとすると、少年が口を開いた。
「今夜は月が綺麗ですね」
「……えっ?」
確かに、空には明るい満月がぽっかり浮かんでいた。
街の灯りで赤くなった空は、お世辞にも澄んではいないけど。
「綺麗」
そう思った。綺麗な満月。
「窓から見えたから。つい、抜け出しちゃって……ごめんなさい」
「えっ、じゃあ、飛び降り自殺じゃないんだ!?うわっ、恥ずっ!!」
最悪だ。
彼氏いない暦十二年とかバラしちゃったじゃないか。なんてこった。
「ふふふっ」
頭を抱える私を見て、少年は笑った。
綺麗な顔をしていた。モテるんじゃないかと思う。
「あー!もう、いいや!!」
開き直ってその場に座り込むと、少年はまた笑った。
「ねぇ、君。まだ、ここにいるの?」
「幸村です。幸村精一」
「幸村くん。早く部屋に戻ってもらわないと、私、困るんだけど」
幸村くんは、にっこり笑ったけど、何も答えなかった。
帰るつもりはないらしい。
「仕方がないか…」
「……すいません」
幸村くんは嬉しそうに謝った。
空を見ると相変わらず月が綺麗で。
「ビールでもあったらなぁ」
「あっ、いいですね!それ」
ビールを飲みながら、のんびり月見。
なかなか素敵なシチュエーションじゃないか。
「ていうか、幸村くん、未成年でしょうが」
「中3です」
中3!ってことは15歳!!
10歳も年下じゃない!あぁ、若さが羨ましい…。
畜生。
「子供にビールは勿体ないわね。さぁってと。幸村くん、そろそろ戻りましょう」
「はい。あっ……看護婦さん」
幸村くんの声が暗くなった気がして、振り向くと、幸村くんは逃げ出しそうな顔で笑っていた。
「幸村くん…?」
「本当は死のうと思ったんです」
一瞬、動けなかった。
けど、すぐに、幸村くんが「嘘です」と言ったから、無理に笑った。
そんなの嘘じゃないじゃない。
「看護婦さん。名前教えてくれませんか」
病室に戻る途中、幸村くんが訊いた。
そういえば、まだ名前を言ってなかった。
「……だけど。」
「さん。僕が大人になったら、一緒に呑みましょうね」
幸村くんは私の目を見て笑った。
希望の光がそこにはあって。
夢なら誰か教えてほしい。
「君が大人になったら、私はもう三十路だよ」
「構わないから。約束ですよ」
少し笑って。
見事な満月の下、久しぶりの恋をした。
数日後、彼は退院した。
住所も電話番号も知らない。
五年後、彼はあの約束を覚えていてくれるだろうか。
もし、そうなら。
満月の下、ビールでも呑みながら
また、一緒に笑いましょう。
幸村、胡散臭くてすみません。
ほとんど名前呼ばないし。
夢じゃないし。
終わり方微妙だし。
精進せねばなぁ。
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