「バッカじゃねーの!」
そう言って切原は、持っていたテニスボールを私に投げつけた。
それは見事に、私の剥き出しの膝に当たった。
「他人に理解してもらおうなんて、痴がましいんだよ!!」
そう吐き捨てて切原は教室を後にした。
あのときから私は。
アイ ノウ
痛む左足を引き摺って、長い廊下を渡り切る。
切原の投げたテニスボールが当たった箇所は、焦げた紫色に変色していた。骨が折れている訳でもないのに、いつまで経っても痛みは引かない。
昨日の放課後、切原が去った後の教室で、私は泣いてしまった。
膝が痛かった所為もあるが、何より、彼の言った言葉に酷く傷付いたからだ。
物理的にも、心理的にも、切原は簡単に人を傷付ける。
教室へ来た、クラスメイトの女子達が、私を見て慌てた様に駆け寄ってきた。
「大丈夫?どうしたの?」
そう、心配そうに尋ねる彼女達は、優しい。
でも、その『優しさ』はステータスでしかない。
ねぇ、そうやって、平気で人を傷付ける切原も、上辺だけで優しくするあんた達も、どっちも同じ。最低だ。
次の日、教室へ入ると、目敏く私の痣を見つけた女の子達が、『優しさ』の見せ所と言わんばかりに、声を掛けてきた。
心配そうな声を作る。当り障りのない会話。下らない友情ごっこ。
本当は、みんな自分のことしか考えてないくせに。
切原は楽しそうに、クラスの男子と談笑していた。
まるで、人畜無害そうなその笑顔を、どうして奴が作れるのか。
一度、見たことのある奴のテニスの試合がフラッシュバックする。
そこにいたのは赤い目をした悪魔で、相手コートから聞こえた悲鳴だけが、いつまでも耳から離れなかった。
馬鹿馬鹿しいクラスメイト達に付き合う気にはなれず、私は放課後、すぐに家に帰ることにした。
荷物をまとめて、靴を履き替えて、外へ出ようとしたところで、突然、腕を掴まれた。
「……っやだ!」
私の腕を掴んだまま、外へと歩き出したのは、切原だった。
逆光で顔が見えなくて、怖い。
「いいから、付いてこいよ」
切原はそれから一言も喋ることなく、私の手を牽いて歩いた。
嫌でも、あの、赤い目が頭をちらついて、私は抵抗することが出来ないままでいた。
着いたところは、テニスコートだった。
「ジャッカル先輩、が逃げないようにしといて下さいよ!」
そう言って、私は黒人の先輩に預けられ、コートの見えるベンチに座らされた。
意味がわからない。
切原は、意気揚揚とコートへ入っていく。
「ちゃん?だっけ?赤也の奴、最近、頑張ってるからさ。最後まで見てってやってくれよな」
ジャッカルと呼ばれていた黒人の先輩が、そう言って笑った。
審判の低い声が響いて、試合が始まった。
切原の相手は、黒いキャップを被った背の高い男子だった。素人目で見ても、一目で強いというのがわかった。
切原も必死で喰らいついていくが、全く歯が立たないようだ。
ただ、ベンチに座っているだけだった。見ようとする努力などいらなかった。
あっという間に試合は終わった。切原の完敗だった。
気付くと、膝の上で握られた拳は汗ばんでいた。
泣きそうな顔で笑いながら、悔しがる切原がコートにいた。
いつか見た、赤い目の面影など、微塵もなかった。
汗をだらだら流して、疲れきった切原が、私の座っているベンチの方へやってきた。
どうしていいのか、わからない。
ジャッカル先輩が、「しっかりやれよ」と切原の肩を叩いて、どこかへ行ってしまった。
切原は黙って、汗を拭きながら、私の隣に腰掛けた。
切原が何をしたいのか、検討もつかず、私もただ、黙って座ったままでいた。
「コートでは」
頭にタオルを被って、下を向いたまま、切原が突然、話し始めた。
「コートでは誰であっても、ひとりぼっちなんだ。たとえ、どんなに辛くても、誰もわかってなんてくれやしない。」
その声には、昨日のような厳しさはなく、どこか独り言のようにも聞こえる。
「それは、コートだけじゃなくて、どこにいたって人間は本当はひとりで、だから、誰も他人のことなんて理解できない」
「だけど、だから、みんな解ろうとするんだ」
少し黙って、「昨日は悪かった」と切原が言った。
「俺はが好きだから、だから、あんたにだけは、人の優しさだとか、思いやりだとか、そういうもんを疑ってほしくなかったんだ」
わかってたよ。
「だって、余りにも、寂しすぎるだろ?」
わかってたよ。本当は、私が誰よりも、自分のことしか考えてなかったって。
優しくしてほしくて、涙を流すくせに、人の優しさを疑って、決め付けて、軽蔑して。
わかってたよ。本当は、私が一番、最低だって。
わかったんだよ。
自分が負けた訳じゃないのに、なんだかやるせない気持ちになったり。
どうしたら良いのかわからなくて、傷付けてしまったり。
それは、人を想うから。
「ありがとう」
私を想ってくれて、とても、嬉しいんだよ。
うっかりジャッカルより先に出来てしまった、切原夢…。
『エースをねらえ!』の主題歌聞いてたら思いついた。
自分の嫌いなタイプの女を主人公にするのは難しかったです。
<2004.5.11> |