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橙と紫を危うく分かつ空を見ながら彼の人を思う。
君思う日々は。
広いひろい図書室は、奥へと進むと甘い匂いが鼻をつく。
埃っぽくて、煮詰めたようなその匂いは、不快感を誘う。
けれども私はその匂いを嗅ぐととても落ち着く。
カビの生えた古い本の甘い匂いが纏わりつく、図書室の一番奥のテーブルにはいつも誰もいない。
いつも私はそこに座って本を読む。
それはとてもゆっくりと優しくて幸せな時間だった。
その日も私は本を読もうと図書室に向かった。
いつもどおりほとんど人はいなくて静かだった。
いつものように一番奥のテーブルへ行くと、ひとつだけ、いつもと違うものがあった。
滅多に人の来ない筈のテーブルの上に、一冊のノート。
手にとって見ると、それは何の変哲も無い、罫線の入ったノートで、中には何も書かれていなかった。
しかし、表紙には書きなれた、しかし整った文字で名前があった。
『芥川慈郎』
あ く た が わ ・・・・・・ じ ろ う ?
「……芥川」
珍しい名前だと思った。心惹かれた。
芥川龍之介と同じ苗字だ。
そして綺麗な文字。
行書体にすらなりそうなそれは、よほど普段から文字を多く書く人間じゃなきゃ書けない。
文章を書くのが好きで、図書室のこんな奥までやってくる、『芥川』という名前の男の子。
どうしようもなく心惹かれた。会って、話をしたかった。
もしかしたら、ノートを探しにくるのではないかと思って、その日はいつもより長く学校にいた。
読みかけだった本を読み終えて、窓の外を見ると、夜の紫と夕日の橙が混ざりそうで、けれども決して混ざって黒になることのない、暮れの空だった。
こんな時間まで、学校に残っている人はそうはいない。
いたとしても、運動部の部員くらいだ。
きっともう来ないだろうと思い、腰を上げた。
ガラガラガラ。
静かな図書室に音が響いた。
パタパタと走ってくる足音が聞こえる。
足音は思ったとおりこちらへやってきて、足音の主が本棚から顔を覗かせてた。
信じたくない。
「あー、あのさー」
私を見て少し驚いたような顔をした少年の髪は金色だった。
誰か違うと言ってくれ。
「そのノート……」
金髪の少年はテーブルの上にあったノートを指差して言った。
走ってきた所為か、表情も声もだるそうだ。
ていうか。
「ええっと…芥川くん?」
「うん。そう。よかったー。新品なのに失くしたかと思ったCー」
Cー?って……。
「榊が名前書いておいてくれたオカゲで見つかったよー!」
榊?榊ってあれかよ。あの音楽教師かよ。
つーことは、なんですか。この字はあのオッサンの字ですか。
なんなんだ。なんで私、こんなやつの為に時間無駄にしたんだ。畜生。
「はい」
腹の中にもやもやしたものを溜め込んだまま、私は奴にノートを渡した。
何だか、妙に疲れた。
「ありがとう。ねぇ、さんは、まだ、帰んないの?」
金髪の芥川くんがにっこり笑った。
沈む寸前の太陽の光が差し込んで、その髪はきらきら光って見えた。
カビの生えた本に囲まれたテーブルへやってきた芥川くん。
ここで、何かをしていた芥川くん。
金髪の芥川くん。
私の名前を知っていた芥川くん。
どうしようもなく、心惹かれた。話をしたかった。
「どうして、名前をしってるの?」
君思う日々はきっと、これから。
妄想少女2004.
古い本を好んで読む、字の綺麗な芥川くんっつったら、もの静かで知性的で物腰柔らかなそんなかんじ。
<2004.7.26>
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