自虐の歌
部活が終わって、着替えも済ませて、よし、帰ろう。と思ったときだった。
鞄の中にあるはずの、明日提出の宿題が無いことに気が付いて、僕は教室へ戻ることにした。
もう、ずいぶん遅い時間なのに、消えている筈の教室の電気が点いているのが、廊下からでも分かった。
単なる消し忘れか、それとも、まだ、誰か教室に残っているのか。
教室へ入ると、そこにはクラスメイトのがいた。
とはあまり話したことがなかった。
は派手でも地味でもなかった。
特別、大人しく口数が少ない訳ではないのに、ひとりでいるときは、どこか違うところにいるように見えた。
は僕が戸を開けると、驚いたように一度こちらを見て、それから机の上に広げたノートパソコンへ視線を戻した。
が何も言わなかったように、僕も何も言わずに、自分の机まで行くと、目当ての宿題を探し出して鞄に仕舞った。
を見ると、少し瞼を伏せてパソコンの画面をじっと見ていた。
左手は頬杖をついて、右手の人差し指はマウスに置かれていた。
何か文章を作っている風でもない。
インターネットで何かを見ているようだった。
僕はそのとき、何を思ったのか、に声を掛けていた。
「何を見ているの?」
「小説」
僕はが、何か自分のことを喋っているのをあまり聞いたことが無かった。
だから、が違うところにいるように見えるのかも知れない。
けれど、が尋ねられたことに、口を噤むことが滅多にないのも、僕は知っていた。
僕は前にそれに気付いて、そのときは何だかおかしな気分になった。
「何の小説を読んでるの?」
僕は、おかしな気分になった理由を知っていた。
他人に隠し事のない人間などいないからだ。
にだって他人に言いたくないことの一つや二つあったっていい。
何となく、が他人に言えないことの一つが、これのような気がした。
誰もいない教室ですることなんて、大抵がやましいことのように思えるからだ。
僕は、が口を噤むのが見たかったのかも知れない。
「不二くんは知らない方がいいと思う」
は口を噤まなかったが、どことなく曖昧に答えた。
どうやら、僕の考えは間違ってないようだった。
「どうして?」
「きっと不二くんは、私を軽蔑するから」
わかっていたのにした質問には、予想通りの答えしか返ってこなかった。
他人に軽蔑されたり、哂われたりするから、人はそれを隠すのだ。
「どうして、軽蔑するの?」
「それを言ったら、軽蔑するでしょう?」
「じゃあ、しないよ」
「……私、オタクだから」
思ってもないことを言うと、は少し苦笑いをして答えた。
その答えの持つ意味を理解するのに少し時間がかかった。
僕はオタクというものの実状をよく知らないからだ。
覚えている限りの情報をかき集めて、オタクというのはアニメやマンガが好きで、特に女の子の場合は、男の登場人物同士に恋愛関係を持たせて空想する人が多いというのを、思い出した。
軽蔑はしなかったが、何となく残念に思った。
は男女の恋愛に興味はないのだろうか。
「……今、軽蔑したでしょう?」
僕が黙っていると、はやっぱりと言いたそうな顔で僕を見ていた。
「いや、軽蔑はしてないけど……は、その……ゲイが好きなの?」
少し躊躇いながら言うと、は半ば開き直ったように、「そういうんじゃなくて…」と言った。
「夢小説っていうの知ってる?」
「……夢?」
「マンガのキャラとの恋愛小説で、ヒロイン役の名前を自分の名前にできるの」
「へー」
ヒロイン役がになるってことは、男女の恋愛に興味がないわけではなさそうだ。
僕は少しほっとしながら、それでも、生身の男には興味がないんだろうかと、また気になった。
「馬鹿だと思うでしょ?現実逃避もいいとこだって……自分でもわかってるけど」
「……馬鹿っていうか。うん。勿体無いなぁって」
「勿体無い?」
「うん。だって」
僕は自分が何を言わんとしているのか、気付いて顔が熱くなるのを感じた。
「だって、僕なら、そんな文字の羅列より、を幸せにできるのに」
痛すぎるだろ、これ。何で不二なのかは不明。
<2004.8.11>
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